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2016年5月21日土曜日

天界が望む生き方

2015/11/22 アメブロより転記


前回の断食は、会食の機会を食べないわけにもいかず、7日間で終わってしまいました。

本題で、私の師匠の畠山さんの教えです。

1.天界が望む生き方は、すべてを天界にお任せする生き方を実践すること。すべてを天界にお任せするとは、運命を天界にお任せして、”何もしない”ことです。

2.天界が一番評価するのは、常に自分のまわりで起こったことに対して、すべては自分に原因があり、相手と自分の心を検証し、反省して気づきを深め、自分の心と向き合い内観し続ける姿勢。

この教えの前提として、苦しみは神様からのプレゼントであることと、全ては、その人を気づかせるために、必然的に起こるということ。

人生でどんなに困難なことがあっても、他人に傷つけられても、”何もしない” とは、相手に危害を加えたり、攻撃したりすることもなく、悪い感情を抱くこともない状態を指すそうです。
ただ、ひたすら自分に落ち度が無かったかどうかを内観して、自分を常に正していく姿勢は、動じない強い自分を作ることに繋がります。

これに関して、お釈迦様と弟子の一人のアングリマーラという殺人鬼との出会いの話にヒントがある。

アングリマーラは99人殺し、100人目に道端であったのがお釈迦様でした。
殺そうと切りつけようとするアングリマーラに、お釈迦様は言った。

私は決して動いていない。生きとし行けるものに対する害心を捨てて停まっている。
動いているのは、そなたの方なのだよ。
害心に目がくらみ動転して停まれないでいるのは、そなたの方なのだよ。

その言葉を聞いたアングリマーラは、晴天の霹靂のようにアングリマーラを打ちのめし、私を救ってくださいと弟子になった。

人間釈迦この場面は、5の最後の方で見れます。

お釈迦様のように、一般人レベルでは、動じず諭す言葉をかけることは出来なくても、”何もしない”ということは、誰でもできる。

また、尊敬する自分のおばあちゃんの話をすると、爺ちゃんは、若い頃から酒乱でマサカリを振り回して、おばあちゃんに暴力を振るっていたが、おばあちゃんは逃げはするけど、何もしなかったそうです。

何もしないで動じないとは、同時に相手に取っては、”のれんに腕押し”状態にして、動じないのであれば、同じことをする意味もなさなく、同時に考える余地を与え、会心させるきっかけを作る。

最近まで、七転八起の苦しみを味わっていたのだが、相手には自分は、何もせず、内観をして自分の心と向き合う日々を過ごして、動じない心を身につけた。

そんな気づきがあって、このブログにも何もしないことの重要性が書いてあり、腑に落ちた。

和尚が説く、「カルマを完全に消滅させる方法」とは?

一生味わえない苦しみに耐えた結果、この教えの深さに、気づきを深めることが出来たことが、非常に嬉しかった。

自分の人生は完璧に進んでいることの巧妙な仕掛けには、いつも驚き、感謝に変わる。

犀の角のようにただ独り歩め

大好きなブッダの教え。犀の角のようにただ独り歩みたい。

犀の角のようにただ独り歩め



一切の生き物に対して暴力を加えることなく、
一切の生き物のいずれをも悩ますことなく、
また子女を欲するなかれ。
いわんや朋友(ほうゆう)をや。
犀の角のようにただ独り歩め。

四方のどこにでもおもむき、
害心あることなく、
何でも得たもので満足し、
諸々の苦難に堪えて、
恐怖することなく、
犀の角のようにただ独り歩め。

義ならざるものを見て邪曲にとらわれている
悪い朋友を避けよ。
貪りに耽って怠惰な人に、みずから親しむな。
犀の角のようにただ独り歩め。

学識ゆたかで真理をわきまえ、
高邁・明敏な友と交われ。
いろいろとためになることがらを知り、
疑惑を除き去って、
犀の角のようにただ独り歩め。

音声に驚かない獅子のように、
網にとらえられない風のように、
水に汚されない蓮のように、
犀の角のようにただ独り歩め。

慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを
時に応じて修め、
一切世間に背くことなく、
犀の角のようにただ独り歩め。